西遊記の二次創作!?中島敦「悟浄歎異」(ごじょうたんに)あらすじ・解説 | LI techno  

西遊記の二次創作!?中島敦「悟浄歎異」(ごじょうたんに)あらすじ・解説

「悟浄歎異」は「李陵」「山月記」などで有名な中島敦さんの作品です。
西遊記の沙悟浄というキャラクターから見た悟空、三蔵、八戒の凄さを切々と語っている作品です。立ち位置としては、西遊記の二次創作にあたりますね。二次創作は現在ではたくさんありますが、当時からすると新しいものであったのではないかと思われます。

「悟浄歎異」あらすじ

昼ご飯の後、三蔵法師が一休みしている間、悟空が猪八戒に変身の術の練習をつけていました。何度やっても八戒の変身の術は成功しないので、悟浄はその様子を側で眺めて笑っています。

悟浄曰く、悟空は天才です。悟空は他人にも自分にも嘘をつかず、自己に対して抱いている信頼がにじみ出ています。
彼は火種で、世界は彼のために用意された薪です。
私たちには何の変哲もない世界も、悟空の目には冒険の端緒や、すばらしい機縁であったりします。
このように、悟空はとても無邪気です。

しかし、普段の無邪気な悟空に比べて、強敵と戦っているときの悟空は、見事で完全な(壮観な)姿です。
災厄は、悟空の火にとって、油です。困難に出会うと、彼の全身は燃え上がります。
悟空にとって、困難とは、目的地への最短のみちしるべとして映ります。

悟空は、文字を知りません。動植物の名称をしらないし、星の名前も角宿も心宿も知りません。
しかし、彼は大抵の動植物について実践的な知識があり、どれが害をなしどれが益を成すのか知っています。
また、悟空は星によって季節、方角、時刻を知ることが出来ます。
二十八宿(天球を、28のエリアに不均等分割したもの)をすべて暗記していながら、実物を見分けることができない悟浄とは違います。
悟浄は、悟空の前に、文字による教養の哀れさを感じるのです。

悟空は人の真似をしません。自分が納得するまでどんな考え方であっても受け入れません。
悟空の前には因習も世間的名声も何の権威もありません。

悟空は過去のことを語りません。
しかし、彼は秘湯一つの経験の与えた教訓は彼の血肉となり身についているのです。

悟浄曰く、三蔵法師は、悟空に対して驚くほど弱い方です。
変化の術も知らないし、すぐ妖怪につかまってしまいます。三蔵には、まるで自己防衛の本能がありません。
これほど弱い三蔵法師に悟浄達三人が魅かれているのは、彼が弱い自分の立場を受け入れているからではないでしょうか。

三蔵法師は、大きなものの中における自分の(あるいは人間の)哀れさ、小ささを悟っており、その悲劇性の上で正しく美しいものを勇敢に求めるのです。
三蔵法師は、外面的な困難にぶつかったとき、切り抜ける道を自分の内面に求めるのです。具体的には、自分の心をその困難に耐えうるように構えるのです。
これは妖怪には絶対にないところのものです。

悟空と三蔵の共通点は、
「所与を必然と考え、必然を完全と感じていること」です。そして、この二人の「必然と自由の等置」こそ、二人が天才である事の徴です。

悟浄曰く、八戒もまた特色のある男です。
彼は、恐ろしくこの生を、この世を愛して楽しんでいます。
八戒は、楽しむことの天才なのです。

悟浄は、まず悟空から様々なことを学び取らねばならないと述べています。
そのためには、観測者の立場を脱却し、悟空に近づかねばなりません。
もっと悟空に近づき、彼の荒さにあてられようと、叱られののしられながら身をもって学び取らねばならない、と締めくくります。

 

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